
創業と2つの大阪万博
高度経済成長期の最盛期とされる1960年代は、1964年の東京オリンピック開催や、それに向けて社会インフラの整備が急ピッチで進められたことから、日本中が好景気に沸き、消費も拡大していました。そうした活気にあふれた社会において多くの若者が起業の志を持ち、日本グリーンパックスの創業者、辻剛正もまた、サラリーマンとして楽器の営業販売に携わりながら、「何か自分で商売を始めたい」という気持ちを持っていました。起業の機会は、辻が31歳の時、「内側に防水防湿加工を施した紙の重包装袋」という新しい商品が、高度経済成長に伴って需要が増えていたセメント原料の保管・流通用に開発されたことで訪れます。この新しい商品を、当時都市部で問題になっていた家庭ごみの回収効率化と衛生環境の向上に活用できるのでは、というアイデアをひらめいたことで、G-Placeの前身となる日本グリーンパックスの創業にいたります。
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創業者 辻剛正
(当社創立30周年記念式典にて) -
辻剛正により掲げられた「社訓」
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創業当時に広く使われていたコンクリート製ごみ箱 -
当時の家庭ごみの多くは生ごみで、家の外に設置してあるコンクリート製のごみ箱に集められ、収集を行う清掃作業員は、手作業で中からごみを掻き出して集めていました。経済成長に伴ってごみの量が増えたのに対し、家庭ごみの収集方法は従来のままであったため、結果的に害虫や害獣の被害が増加し、特に都市部の住宅地で、衛生環境が悪化する問題が起きていました。各自治体は、対策として家庭に害獣を捕獲するかごや殺虫剤などを配っていましたが、辻はこうした自治体に対し、根本的な対策として家庭ごみを袋を使って回収する方法への切り替えを提案しました。衛生的かつ効率的なごみ収集とともに、清掃作業員の労働環境改善にもつながるこの回収方法は、創業地のある関西圏の自治体に徐々に導入されていきました。
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創業から2年後の1970年、大阪万博(日本万国博覧会/EXPO'70)が開催されました。会場内で使い捨てプラスチック容器の使用が禁止された大阪万博において、ごみの収集処理に使われたのが、当社がすでに販売に着手していた紙製のごみ袋でした。当社はこの紙製のごみ袋の販売を通じて、大阪万博会場におけるごみの回収、延いては衛生と美観の保全に一役買い、また袋を使った衛生的かつ効率的なごみの回収方法は、多くの来場者の目に留まりました。
結果、大阪万博は袋を使ったごみ収集が自治体を通して全国に広まるきっかけとなり、当社の事業も全国に展開していきました。この、ごみ袋の販売に関連して発展した自治体向けの業務支援は、今日も当社の基盤事業として続いています。成長のきっかけとなった大阪万博。当社は2025年の大阪・関西万博(EXPO2025)においても、協賛企業として参画しています。
社会ニーズに応える事業創出の歴史
高度経済成長期は、環境破壊と公共衛生が大きな課題として私たちに突き付けられた時代でもあります。日本グリーンパックスの創業は、まさに公害対策基本法が制定された1967年の翌年でした。自治体によるごみの収集事業の効率化・衛生化を目指して紙製のごみ袋を販売する事業からスタートした当社は、以降も、さまざまな視点から世の中のニーズを見つけ、それに対するソリューションを生み出していく、という実践の結果として数多くの事業が生み出され、現在へと受け継がれています。
